東京高等裁判所 平成元年(行ケ)85号 判決 1992年5月26日
アメリカ合衆国デラウエア州ウイルミントン・マーケツトストリート一〇〇七
原告
イー・アイ・デユポン・デ・ニモアス・アンド・カンパニー
右代表者
ジエームス・ジエイ・フライン
右訴訟代理人弁護士
宇井正一
同弁理士
西舘和之
同
米元直幸
東京都千代田区霞が関三丁目四番三号
被告
特許庁長官 深沢亘
右指定代理人
唐沢勇吉
同
加藤公清
同
田辺秀三
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告のための附加期間を九〇日と定める。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告
「特許庁が昭和六〇年審判第一八六〇一号事件について平成元年二月二日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
二 被告
主文一、二項と同旨の判決
第二 請求の原因
一 特許庁における手続の経緯
出願人 原告
優先権主張 アメリカ合衆国一九七七年一〇月一四日出願
特許出願 昭和五三年一〇月一二日(昭和五三年特許願第一二四七二二号)
発明の名称 「重水素化重合体の低減衰オプテイカル・フアイバー」
出願公告 昭和五七年一一月二日(昭和五七年特許出願公告第五一六四五号)
特許異議の申立人 東レ株式会社、旭化成工業株式会社、日本電信電話公社及び申澤秀
旭化成工藁株式会社の異議申立て認容決定
昭和六〇年二月七日
拒絶査定 昭和六〇年二月七日
審判請求 昭和六〇年九月一九日(昭和六〇年審判第一八六〇一号事件)
審判請求不成立審決 平成元年二月二日
二 本願発明の要旨(特許請求の範囲第一項記載に同じ。)
実質的に有機高重合体から成る心とクラツデイングから成り、該心は重水素化されたメタクリレート重合体であつて六〇MHZにおける核磁気共鳴法で測定して重合体一g当り水素を二〇mgより少なくしか含まないことを特徴とすオプテイカル・フアイバー。(別紙参照)
三 審決の理由の要点
1 本願発明の要旨は前項記載のとおりである。
2 これに対して、特公昭四三-八九七八号公報(以下、「第一引用例」という。)には、透明な心及び透明なさやからなる光伝送フィラメントにおいて、心材料には、アルキル基の炭素数が一ないし六のメタクリル酸アルキルを少なくとも七〇%含有するポリメタクリル酸アルキル及びその共重合体が(二頁左欄三一行ないし右欄五行参照)、また、さやの材料には、重量で三〇%以上の弗素を含有する弗素含有重合体又はアクリルないしメタクリル酸の弗素化エステルの重合体及び共重合体が(二頁右欄二〇行ないし二八行)有用であることが記載されている。
3 本願発明(以下、「前者」という。)と第一引用例記載のもの(以下、「後者」という。)とを対比すると、両者は共に、実質的に有機高重合体から成る心とクラツデイング(後者のさや)から成るオプテイカル・フアイバー(後者の光伝送フイラメント)である点で一致するが、心を構成するメタクリレート重合体に、前者は重水素化されたものを用い、六〇MHzにおける核磁気共鳴法で測定して重合体一g当り水素を二〇mgより少なくしか含まないことを特徴とするのに対して、後者は重水素化されていないものを用いている点で相違する。
4 右相違点について検討する。
(一) 先ず、前者が重水素化されたメタクリレート重合体を用いた点について、本願特許公告公報(以下、「本願公報」という。)三頁左欄七行ないし二四行の記載によれば、<1>心に、重水素化されたメタクリレート重合体を用いたオプテイカル・フアイバーは、重水素化されていない心を用いたものと比較して光の減衰が少なくなり、<2>最小の光減衰を示す波長がずれる。<3>重水素化が完全になされるほど最良の結果が得られ、本願公報において「重水素化」とは、物質が部分的に又は完全に重水素化されていることをいう、とあり、また、本願公報四頁左欄二四行ないし三〇行には、「本発明によりつくられたオプテイカル・フアイバーの伝達光減衰性は著しく低い。本発明によれば六九〇nmおよび七八五nm付近の光で三〇〇db/Km(デシベル/キロメートル)より小さい減衰度のオプテイカル・フアイバーは普通につくられ、二〇〇db/Km以下、例えば一五〇db/Km程度の減衰度のものも得られる。」とある。
(二) 本願出願前に頒布された刊行物、「KUNSTSTOFF-HANDBUCH」第Ⅸ巻「Polymethacrylate」(以下、「第二引用例」という。)の一八三頁ないし一九三頁には、PMMA(ポリメチルメタクリレート)をオプテイカル・フアイバーに用いた際の光の損失について、スペクトルの紫外部及び近赤外部に存在するPMMAの吸収帯がオプテイカル・フアイバー内部での光の損失に大きな影響を与えること(一八六頁八行ないし一三行参照)、近赤外スペクトル領域とは〇・七ないし三・〇μmの波長領域を指し、この領域におけるアクリルガラスの吸収帯のほとんど全てはR-H型(R-残基)の水素振動に実質上起因し、また、アクリレート及びメタクリレー下の近赤外領域に存在する吸収帯は、官能基に割当てることができ、エステルのVC-O基は約二・一ないし二・三μmで吸収し、CH3-、CH2-及びCH-基のH振動は約一・一五、一・三五、一・六ないし一・八μmなどにおいて吸収する、したがつて、アクリレート及びメタクリレートの場合には、一ないし三μmの間で比較的吸収帯の多い吸収スペクトルが得られることが記載されている(一九〇頁六行ないし二一行参照)。
一方、本願出願前に頒布された刊行物、「JOURNAL OF APPLIED POLYMER SCIENCE」第七巻(以下、「第三引用例」という。)の一六九七頁ないし一七一四頁には、一六九七頁に挙げたPMMA CH2C(CH3)(COOCH3)nとその一部の水素を重水素に置き換えたPM-d3、MA-d5、そして全部の水素を重水素で置き換えたPM-d3、MA-d5、CD2C(CD3)(COOCD2)nの光学的な性質について記載されており、特に右各材料のスペクトルを示した一六九九頁Fig2について、一七〇二頁下から一〇行ないし下から一行には、PMMAの場合二九九五、二九四八及び二八三五cm-1においても吸収帯が認められ、これらの吸収帯はいずれも十分に重水素化された重合体ではこの領域で吸収を示さないことから、C-H振動に関連があること、CH2及びα-CH3基を重水素化すると、この領域の吸収帯の強度が減じることが、また、一七〇四頁下から一四行ないし下から五行には、PM-d5、MAの場合、二九九五cm-1において一個の平行な吸収帯と二九四八及び二九一五cm-1において二個の直立した吸収帯が認められるが、この二九九五cm-1における平行な吸収帯は、PMMA-d5のスペクトルでは二二四〇cm-1における吸収帯にシフトしていると考えられることが記載されている。また、全ての水素を重水素化したPM-d3、MA-d5の場合、二九〇〇cm-1前後の吸収帯は消失し、長波長側にシフトしていることがFig2から明らかである。
(三) 以上をまとめると、
<1>PMMAからなるオプテイカル・フアイバーは、近赤外部、すなわち本願公報に記載された波長近傍の〇・七ないし三・〇μmにわたる波長領域に吸収帯が存在し、これがオプテイカル・フアイバー内部での光の損失に大きく影響を与える。
<2>吸収帯は水素振動に起因して生ずる。
(以上第二引用例の記載から)
<3>PMMAの吸収帯はC-H振動に関連し、充分に重水素化すると吸収を示さない。
<4>本願発明の「重水素化」に含まれる、PMMAの全ての水素を重水素で置き換えたものは、PMMAの一部の吸収帯が消失し、吸収帯がシフトする。
(以上第三引用例の記載から)
(四) もつとも、第三引用例はオプテイカル・フアイバーに適用した結果を記載したものかどうかは明らかでなく、波長も長い領域を対象としたものであるが、PMMAがオプテイカル・フアイバーの材料として周知のものであること、光の吸収、すなわち、光を内部に通過させる際の特性を取り扱つたものであること、本願発明も、オプテイカル・フアイバーの心の材料として重水素化されたメタクリレート重合体を用いたというだけで、他に特別の構成も存在しないこと(本願発明の「六〇MHzにおける核磁気共鳴法で測定して」は、周知の測定法を記載したにすぎない)、更に本願出願前に頒布された米国特許第三七七九六二七号明細書(以下、「第四引用例」という。)には、弗素化重合体からなる光伝送体について、四欄一一行ないし二一行に、重合体物質が完全に弗素化されない場合には、赤外吸収が約四・八、二・四及び一・六μmまでシフトされるので、末端原子を重水素化するのが望ましい、これにより水素に関連した比較的短波長の吸収を避けることができるとの記載があることから、光伝送体の吸収損失を、水素を重水素化することによつて避け得ることが既に示唆されていたこと、これらを勘案すると、重水素化されたメタクリレート重合体を、オプテイカル・フアイバーの心の材料として用い本願発明のように構成することは当業者が容易になし得たことと認められる。
5 したがつて、本願発明は、前記第一ないし第四の各引用例に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明することができたものと認められるので、特許法二九条二項の規定により本願発明については特許を受けることができない。
四 審決の取消事由
1 審決の理由の要点1ないし3及び4(一)は認める。同4(二)のうち、第三引用例に関し、全ての水素を重水素化したPM-d3、MA-d5の場合、二九〇〇cm-1前後の吸収帯は消失し、長波長側にシフトしていることがFig2から明らかであるとの点は争い、その余は認める。同4(三)の<1>、<2>及び<3>のうちPMMAの吸収帯がC-H振動に関運することが本件特許出願前に知られていたことは認め、その余は争う。同4(四)は、第四引用例の記載内容についての認定は認めるが、その余は争う。
審決は、第三、第四引用例に開示された技術内容及びその示唆の範囲を誤認し、また、本願発明における水素量を限定した意義を看過した結果、本願発明の進歩性を否定したものであるから、違法として取り消されるぺきである。
2 本願発明の目的、構成及び効果
(一) 従来技術によるオプテイカル・フアイバーは、破砕し易く、これを避けようとすると、嵩性、重量、コストの点で望ましくないものとなつたり、或いはオプテイカル・フアイバーで伝送される光の減衰が大きかつたりするなどの種々の欠点を有していた。本願発明は、このような多くの欠点を克服するためにオプテイカル・フアイバーの心を重水素化されたメタクリレート重合体(以下、メタクリレート重合体(ポリメチルメタクリレート、ポリメタクリル酸メチル、ポリメチルメタクリレートと同義)を「PMMA」と、重水素化したメタクリレート重合体を「重水素化PMMA」という。)で形成し、重合体中の水素の量を六〇MHzにおける核磁気共鳴法で測定して重合体一g当り水素を二〇mgより少なくなるように構成したものである。これによつて、伝達光減衰性を著しく低下し、可視光線六九〇nm及び可視光線に近い赤外線の七八五nm付近で一五〇db/Km前後の減衰度のものも得られ、例えば、実施例1では六九〇nmで一四七db/Kmとプラスチツクオプテイカル・フアイバーとしては極めて低い値となつている。
(二) 一般に、特定の触媒ないし重合開始剤をそれぞれ用いて、PMMAをイオン重合すると立体規則性となり、ラジカル重合すると非立体規則性になる。本願発明の重水素化PMMAは重合開始剤として2、2-アゾービス(イソブチロニトリル)等のアゾ系のものを用いて重合を行つており、非立体規則性の重水素化PMMAを生成する。本願発明の重水素化PMMAは構造が非立体規則性であることから光の散乱損失が少ない。
なお、本願発明のようなオプティカル・フアイバーで伝送する光の波長は、可視光線を中心とし、四〇〇ないし一一〇〇nmの範囲のものである。
3 第三引用例の技術的内容及びその示唆の範囲についての誤認(取消事由一)
(一) 第三引用例は、立体規則性PMMAの構造研究に関する報告であり、この研究は、赤外吸収スペクトルによつて、立体規則性PMMA中のどの基(エステルのCH3基、α位置のCH3基及びCH2基)がどの波長に吸収帯をもつかを定性的に確認しようとしたものである(各官能基による赤外吸収の増減を直截に示唆するものではない。)。
第三引用例には審決認定のとおりの記載があるが、そこで問題とされている重水素化PMMAの吸収帯の波長域は二九九五cm-1(三三三八nm)から二八三五cm-1(三五二七nm)までの波長の大きな赤外線の領域であるから、本願発明のようなオプテイカル・フアイバーで使用される可視光線を中心とする四〇〇ないし一一〇〇nmの波長範囲を遥かに越えている。したがつて、第三引用例に開示された研究の結果は本願発明のような四〇〇ないし一一〇〇nmの使用波長領域での光減衰の低下を図るという目的を持つ技術にそのまま妥当するものではない。
一般に、光と物質(原子ないし分子から構成されている。)との相互作用は、光の種類(例えば光が赤外線であるか、又は可視光線であるか、もしくは紫外線であるか)によつて異なる。第三引用例の研究において赤外線が利用されているのは、赤外線の吸収は物質を構成する分子に固有であり、赤外線の吸収が分子内の原子の振動等に密接に関係しているという事実によるものである。一方、赤外線より波長の短い七〇〇ないし四〇〇nm位までの可視光線領域(場合によつては三五〇ないし三四〇nmまでも可視光線に含めることがある。)や更に波長の短い紫外線の吸収スペクトルは、分子内の電子エネルギー準位の遷移によるものであり、赤外線吸収スペクトルとは異なる原因に基づくものである(甲第一一号証(国友願一外五名「わかりやすい有機化学」・廣川書店昭和六一年四月一日発行)三二二頁一行ないし三三三頁一七行参照)。したがつて、赤外線吸収スペクトルについての論述は可視光線スペクトルには妥当せず、可視光線スペクトルについての論述は逆に赤外線吸収スペクトルには妥当しないのである。
第三引用例のFig2(一六九九頁)には非重水素化PMMAの赤外線吸収スペクトルが示されており、Aは非重水素化PMMA、BはPMMA中の三個の水素を重水素に変えたPM-d3・MA、CはPMMA中の五個の水素を重水素に変えたPMMA-d5、DはPMMA中の八個の水素を重水素に変えたPMMA-d3・MA-d5の各赤外吸収スペクトル図である(なお、EはPMMAであつて、PMMAではない。)。Fig2のAないしDを比較すると、PMMAの重水素化によつて波数(振動数)三〇〇〇cm-1(三三三三nm)付近の吸収が減少することが認められるが、それでも透過率は六〇%程度であり、一方、二三〇〇ないし二二〇〇cm-1(四三四八ないし四五四五nm)付近では、重水素化に伴つて新たな吸収が出現することが明瞭に認められる。一三〇〇ないし一一〇〇cm-1(七六九二ないし九〇九一nm)の領域では、PMMAの重水素化による吸収極大波数のシフトがみられるものの、全体としては重水素化してもかなり強い吸収が依然として残るのである。そして、全体としてみると、非重水素化PMMAよりも重水素化PMMAの方が透過率が低下している(吸収は増加している。)。それゆえ、第三引用例における三〇〇〇cm-1(三三三三nm)付近の吸収の減少のみから可視光線を中心とする本願発明のオプテイカル・フアイバーの使用波長範囲での吸収の如何を論ずることはできない。
(二) 第三引用例に示されたPMMAは立体規則性のものである。オプテイカル・フアイバーの心(コア)に使用されるプラスチックポリマーとしては、高度の透明性や屈折率、低散乱損失を有することのほかに、成形性すなわち繊維に形成し得る怪質等が良好であることが求められる。この選択基準から、コアポリマーとして使用するPMMAは非晶質(無定形)のものでなければならないが、第三引用例におけるような立体規則性のPMMAは結晶性であつて、かかる結晶性ポリマーは実用的なオプテイカ・フアイバーのコアポリマーとして不適当である。
なお、立体規則性PMMAの利用は学術的な研究に限られており、今日に至るも未だ工業的に利用されていない。重水素化されていないPMMAによるオプテイカル・フアイバーの製造技術が周知であり、また立体規則性PMMAの構造の学術的な研究のために重水素化したPMMAをつくることが公知であつたとしても、つくられたPMMAが立体規則性のものである以上、そこに開示された技術をオプテイカル・フアイバーの製造に利用することはできないのである。
4 第四引用例の技術的内容及びその示唆の範囲についての誤認(取消事由二)
第四引用例に記載された光学伝送線素子は弗素化された重合体から成るものであつて、本願発明のみならず、第一ないし第三引用碗のPMMAとも異質なものである。第四引用例において弗素化された重合体を採用する理由は、伝送される光の固有散乱損失を低くしようとするものであり、そのための具体的な手段として該損失に影響する屈折率を可能な限り小さいものにしようとするところにあるから、完全に弗素化された重合体が求められるのであつて、その場合には末端原子の重水素化は問題となり得ない。
そして、重合体が完全に弗素化されていない、つまり部分的に弗素化されている場合に、赤外吸収が約四・八、二・四及び一・六μm(それぞれ四八〇〇、二四〇〇、一六〇〇nm)までシフトされるので、末端原子を重水素化することが望まれ、これにより水素に関連した比較的短波長の吸収を避けることができるとしても、右の赤外吸収がシフトされる波長はプラスチックオプテイカル・フアイバーで使用する波長の上限である一一〇〇nmを遥かに越えているうえ、第四引用例は、吸収が避けられる波長が具体的にどの程度のものか明らかにしていない。
要するに、第四引用例は、完全に弗素化されたか、又はできるだけ多く弗素化された重合体の使用を提案しているものであるから、このような引用例からまつたく弗素化されていない重水素化PMMAを使用する本願発明を予測することは不可能である。
5 本願発明の「水素の量の特定」に関する判断の誤り(取消事由三)
本願発明では、非立体規則性のPMMAの水素原子を重水素に置換してその量を可能な限り減少させることが光減衰を低下させるうえで好ましい。本願発明の特許請求の範囲における「重合体一g当り二〇mg以下」という水素量の規定は、一種類のPMMAのみをコアポリマーとして使用する(二種類又はそれ以上のPMMAを混合しては用いない。)とすれば、PMMAを構成するモノマー一分子中に含まれる水素原子の数を二個以下にすることを意味する。第三引用例をはじめとして、その他の引用例にもオプテイカル・フアイバーにおける光減衰の低下を図るために水素量を特定するという技術思想は認められない。しかるに、審決は、これを判断することなく、PMMAの重水素化という観点のみから本願発明の進歩性を判断する誤りをおかしたものである。
なお、本願発明では、低光減衰を達成するために有効な水素量の範囲内から「重合体一g当り二〇mg以下」という数値を任意に選択したものであるが、かかる選択は出願人が自由になし得ることであるから、本願発明に係る出願の特許性を判断するうえで右数値限定に臨界的意義があるかどうかは問題ではないのである。
第三 請求の原因に対する認否及び被告の主張
一 請求の原因一ないし三は認める。同四は争う。審決の認定、判断は正当であり、審決を取り消すべき違法はない。
二1 本願発明の目的、構成及び効果の主張について
(一) 本願発明の特徴は、従来の光フアイバー(例えば第一引用例記載のもの)が有する、材料中の水素に起因する光減衰を、水素を重水素に置き換えることによつて低下させたことに尽きるものである。
(二) 本願発明が使用波長範囲を特定したものでないことは特許請求の範囲の記載から明らかである。そして、原告の主張において、効果を奏した波長域として挙げられている六九〇nm及び七八五nmの波長域も、特定の条件のもとに得られたデータの一部として発明の詳細な説明に例示されているにすぎない。
2 取消事由一について
(一) 第三引用例で言及されている吸収帯の波長領域は赤外領域であり、通常のオプテイカル・フアイバーの使用波長領域とは異なることは審決も認めている。また、第二引用例にも記載されているように、PMMAを用いたオプテイカル・フアイバーは近赤外領域で吸収があり、この領域での使用は光損失が大きいという問題が認識されており、しかも、光の吸収を引き起こす吸収帯の存在は、R-H型(Rは残基)の水素振動に起困することも従来から認議されていた事実である。
本願発明は、本願公報に「心の重合体中のC-H結合の量(C-D結合とは異なる)が最小になつたとき最高の光伝送が行なわれる波長において光の減衰は最低になる。」、すなわち、C-H結合をC-D結合に置換することによつて本願発明の効果が達成されることが記載されており、この記載によれば、従来、近赤外領域で吸収の原因として考えられていた水素振動に基づく吸収帯の除去を基本として本願発明が成り立つていることは明らかである。してみると、本願発明は、分子内の電子のエネルギー準位の遷移に基つく可視領域のスペクトルのメカニズムではなく、分子内の原子間結合の振動に基づく赤外吸収スペクトルのメカニズムを基にして成り立つていることは明らかである。また、本願公報の第5表の測定結果を見ても、七六七ないし九〇〇nmの波長範囲で重水素化による光減衰の改善は著しく、特に九〇〇nmでは最も大きな改善結果が示されている。この波長領域は、従来、水素振動に基づく吸収帯によつて光の吸収損失が大きいとされている領域である。もつとも、第5表の測定結果には可視領域にも改善が見られるが、この点は赤外領域のC-H基準振動の倍音振動、結合振動による吸収が可視領域に存在し、C-D置換によつて改善されたものとして理解される。この点は、第二引用例にも倍音振動、結合振動の存在について記載されており、可視領域の吸収帯、例えば六二〇nmについて、光伝送体(オプテイカル・フアイバー)を長くすると吸収損失として強く現われることを示している。
更に、本願発明は、高速赤外ダイオードを光源として使用し得ることを利点として挙げているが(本願公報二〇欄二九行ないし三四行)、これは、赤外領域の吸収損失が改善されたことを意味している。
第三引用例は、本願発明及び第二引用例と同じPMMAにおいて、重水素化することによつてC-H振動に関連した吸収帯の強度が減じ、あるいは消失する事実を示しており、C-H振動に基づく吸収帯に関して論述した点で、第二引用例、本願発明と共通したメカニズムの吸収スペクトルを取り扱つている。したがつて、第三引用例に示される重水素化、すなわち、C-H結合をC-D結合に置換することを、第二引用例で提起されているC-H振動に基づく吸収帯による光吸収損失を減少ないし消失する手段として認識することは容易に想到し得ることである。
本願発明が従来技術と比較して相違する点は、PMMAからなるオプテイカル・フアイバーにおいて、C-H結合をC-D結合に置換しただけであり、第三引用例の示唆に基づいて本願発明を構成することは、技術上なんら困難なことではない。
(二) 原告は、第三引用例記載のものは立体規則性のPMMAでありオプテイカル・フアイバーの心に適用できないものであると主張する。しかしながら、第三引用例の第1表(一六九八頁)には、タクチツク(立体規則性)に対応するアタクチツク(非立体規則性)重合体が記載されている。また、甲第八ないし第一〇号証をみても、立体規則性のPMMAはオプテイカル・フアイバーの心に不適であるとの記載はない。
3 取消事由二について
審決は、第三引用例に記載されたPMMAを重水素化したものがオプテイカル・フアイバーに適用できるかどうか明らかでない点を補足するための補足事項の一つとして、第四引用例を引用したものであり、同引用例によつて、吸収損失をなくすために水素を重水素に置き換えることが重合体からなる光伝送体(オプテイカル・フアイバー)において既に行なわれている事実を指摘したものである。
4 取消事由三について
本願公報五欄二五行ないし三六行の「オプテイカル・フアイバーの心が六〇MHzの核磁気共鳴法で測定して重合体一g当り二〇mg以下、好ましくは一mg以下の水素(重水素ではない)を含むようになるような同位体純度の重水素化単量体、反応開始剤及び連鎖移動剤の量を用いたとき最良の結果が得られる。従つて重合体一g当り二〇mgの水素を含む心をもつたフアイバーはポリメチルクリレートの心をもつた同じようにしてつくられた普通のフアイバーに比べ光の伝達が著しく良好であるが、心の水素の量を最小にすることにより最良の結果が得られる。」との記載は、水素の量がより少ないほうが良いことを示唆しているだけで、一g当り二〇mgという数値が上限としての臨界的な意味を持つ技術的な裏付けは本願公報全体をみてもなされていない。
したがつて、本願発明の水素の量の特定についての審決の判断に誤りはない。
第四 証拠関係
本件記録中の書証目録の記載を引用する。
理由
一 請求の原因一ないし三(特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨、審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。
二 本願発明の概要
成立に争いのない甲第二号証(本願公報)によれば、本願発明は重水素化された心と、心よりも屈折率が低い重合体のクラツデイングとを有する損失の少ないオプテイカル・フアイバーに関するものであること、オプテイカル・フアイバーはフイラメントの長さに沿つて光を多重内部反射することにより光を伝達するためのものであることは公知であるが、フイラメントの長さに沿つて光が吸収及び散乱されることによる光の損失を最小とするように注意を払つて、オプテイカル・フアイバーのフイラメント材料の一竭に供給された光が効率よくその材料の他竭へと伝達されるようにしなければならず、オプテイカル・フアイバーをつくる上で考慮しなければならない重要なことは、このようなフアイバーの内部で伝達される光の減衰を強めるような因子を最小にすることであること、従来技術によるオプテイカル・フアイバーとしては、全部無機ガラスでつくられたオプテイカル・フアイバー、心が無機ガラスでその周りを熱可塑性又は熱硬化性重合体で取囲んだもの、或いは全部熱可塑性重合体からできたものが当業界で公知であり、そのうち全部プラスチツクでできたフアイバーは、破砕することは少ないが、その中を通る光を減衰させる程度が大きいという欠点を有するところ、本願発明は全プラスチツクオブテイカル・フアイバーの光を伝達し得る能力を改善することを指向するものであること、及び、本願発明によれば、六九〇nm及び七八五nm付近の光で三〇〇db/Km(デシベル/キロメートル)より小さい減衰度のオプテイカル・フアイバーは普通につくられ、一五〇db/Km程度の減衰度のものも得られることが認められる。
三 第一引用例には審決認定のとおりの記載があること、本願発明と第一引用例記載の発明との相違点は審決が認定するとおりであり、その余の点において両発明が一致することについては当事者間に争いがない。
四 取消事由に対する判断
1 本願発明の目的、構成及び効果の主張に関して
(一) 原告は、本願発明の重水素化PMMAは重合開始剤として2、2-アゾービス(イソプチロニトリル)等のアゾ系のものを用いて重合を行つており、非立体規則性の重水素化PMMAを生成すると主張し、本願発明の重水素化PMMAは非立体規則性のものに限られるかのごとくに主張するので、その当否について判断する。
前掲甲第二号証によれば、本願公報の発明の詳細な説明の項には、重水素化PMMAの重合に関し、「重合は可溶性の遊離基重合開始剤を用いて行なう。」との記載(一一欄七行ないし八行)があることが認められ、成立に争いのない甲第六号証(第三引用例)によれば、同引用例には「ラジカル重合によつて合成されたポリマーも結晶化はできない。」との記載(訳文二頁一七行ないし一八行)のあることが認められるところ、遊離基重合がラジカル重合を意味することは明らかであるから、これらの記載によれば、本願公報の発明の詳細な説明の項における前記の重水素化PMMAは非立体規則性であることが窺われる。しかしながら、本願発明は、特許請求の範囲の前記載から明らかなように、どのような触媒ないし開始剤を用いてPMMAを重合するのかという点については何の限定もしていないし、また、PMMAの立体規則性に関する限定もしていない。
しかして、光フアイバーに用いるPMMAとしては非晶質のもの(結晶化しにくいもの)が好適であるということは被告は明らかに争わないところ(いずれも本願出願後の文献であるが、成立に争いのない甲第八号証(井上文雄外一名「プラスチツク光フアイバ」・「高分子」一九八四年一一月所収・社団法人高分子学会同月一日発行)及び甲第九号証(大塚保治・「最近の光フアイバー」・「高分子加工」一九八八年二月号所収・高分子刊行会同月二五日発行)にもこの点を敷衍した記載があることが認められる。)、立体規則性のPMMAは一般的には結晶化し易いということができるが、前掲甲第六号証によれば、同号証には、立体規則性のPMMAでもシンジオタクチツクポリマーは結晶化が非常に困難であることが記載(訳文四頁七行ないし八行)されていることからみて、規則性のPMMAは光フアイバーに全く使用できないと結論づけられるものでもない。
更に、成立に争いのない甲第一〇号証(村橋俊介外二名改訂新版「プラスチツクハンドプツク」・株式会社朝倉書店一九六九年六月二〇日発行)によれば、同号証には「メタクリル酸メチルの重合は、ラジカル重合機構ならびにイオン量合機構いずれにおいても行なわれるか、現在工業的に採用されているのはほとんどラジカル重合によるものであり、イオン重合によるものは、まだ研究対象の域を出ていない。」との記載(三九六頁下から三行ないし末行)のあることが認められ、同じく成立に争いのない甲第一九号証(筏義人外五名「高分子事典」・株式会社高分子刊行会一九七一年二月二〇日発行)によれば、同号証には「アニオン量合ではアイソタクチツクPMMAが得られ、」との記載(二九〇頁一四行ないし一五行)のあることが認められ、これら記載によれば、その工業化の可否はともかく、PMMAといえば立体規則性のものも非立体規則性のものと並んで周知であることが認められる。
以上によれば、本願発明における重水素化PMMAを非立体規則性のものに限定する理由はなく、立体規則性のものと非立体規則性のものとの両方を含むものであると解するのが相当である。
(二) また、原告は、本願発明のオプテイカル・フアイバーで使用される波長範囲は、可視光線を中心とし、四〇〇ないし一一〇〇nmの範囲である旨主張するので、その当否について判断する。
本願発明の特許請求の範囲には、使用する光の波長を限定する記載はなく、また、前掲甲第二号証によるも、本願公報の発明の詳細な説明中にも本願発明の使用する光の波長範囲を限定するような一般的記載は見当たらない。なお、前掲甲第二号証によれば、本願公報にはタングステンハロゲン光源又はキセノンアーク灯光源を用いて四〇〇ないし八〇〇nm及び七〇〇ないし一一〇〇nmの波長の光を伝送した場合の光の減衰度を測定した実験結果が実施例として示されていることが認められるが(二三欄四一行ないし二四欄一六行、二六欄末行ないし二七欄一七行)、これはあくまでも一実施例のものにすぎず、これをもつて本願発明が使用する光の波長範囲が四〇〇ないし一一〇〇nmに限定されると解することは相当でない。
更に、前掲甲第二号証によれば、本願公報には「本発明のオプテイカル・フアイバーは重水素化されない単量体からつくられたものに比べ光の減衰が低いから、長距離用として使用できるという点及び、高速赤外放射ダイオード及びソリツド・ステート・レーザーと共に使用できるからデーター転送速度が速い点で有利である。」との記載(二〇欄二九行ないし三四行)があることが認められ、この記載によれば、本願発明は光源として赤外線を使用することも意図していることは明白であるところ、成立に争いのない甲第一六号証(化学大辞典編集委員会「理化学辞典」第三版・株式会社岩波書店一九七一年五月二〇日発行)によれば、赤外線とは七六〇nmないし一〇〇〇〇〇〇nmの波長範囲の電磁波をいい、特に二五〇〇nm以下の赤外線を近赤外線ということが認められる(七一九頁)。
以上によれば、本願発明のオプテイカル・フアイバーで使用される波長範囲は、その特許請求の範囲の記載からみて、四〇〇ないし一一〇〇nmであると限定して解することは相当ではなく、本願発明において、赤外線を光源として使用することが意図され、また、近赤外領域を含む七〇〇ないし一一〇〇nmの波長の光についての実験結果が示されているところからみて、少なくとも二五〇〇nm以下の近赤外領域をも含むものであると解さざるを得ない。
2 取消事由一に対する判断
(一) 第三引用例には審決認定のとおりの記載があることについては当事者間に争いがない(但し、全ての水素を重水素化したPM-d3、MA-d5の場合、二九〇〇cm-1前後の吸収帯は消失し、長波長側にシフトしていることがFig2から明らかであるとの点を除く。)。
(二) 原告は、赤外線吸収スペクトルと可視光線領域や紫外線の吸収スペクトルとは異なる原因に基づくものであるところ、第三引用例は赤外線吸収スペクトルについての論述であるから、可視光線領域を対象とする本願発明には当てはまらない旨主張するので、以下検討する。
原告は、成立に争いのない甲第一一号証(国友願一外五名「わかりやすい有機化学」・廣川書店昭和六一年四月一日発行)を右主張の裹付けとして引用するが、同号証は、本願が出願された一九七七年一〇月四日より九年六月近くを経た昭和六一年(一九八六年)四月一日に発行されたもので、同号証中の原告引用に係る記載部分が本願出願前において当業者間において周知であつたことを認めるに足りる証拠はないから、その点において、原告の主張は裏付けを欠くものとして失当といわざるを得ない。
しかし、成立に争いのない本願出願前の昭和四五年二月一日に発行された甲第一二号証(丸山和博「構造有機化学Ⅲ」・共立出版株式会社発行)には、表8・1電磁波の波長領域と分光分析法の説明として、近紫外・紫外一八五~四〇〇mμ及び可視四〇〇~八〇〇mμの帯域の吸収が「結合を形成する原子価電子の活性化」によるものであり、近赤外一二五〇〇~四〇〇〇cm-1及び赤外四〇〇〇~三〇〇〇cm-1の帯域の吸収が「分子の振動状態の活性化」によるものである旨の記載(五六六頁)があり、右記載は、前掲甲第一一号証とほほ同旨のものと認められるので、甲第一一号証の周知性の点はしばらく措き、原告の前記主張について検討する。前掲甲第一一号証には、「紫外スペクトルultraviolet spectrum (UV)は波長領域が二〇〇~三六〇nm(ナノメーターと呼ぶ、10-8m)の吸収スペクトルであり、更に長波長側の三四〇~七〇〇nmの領域は可視スペクトルvisible spectrumと呼はれている。このスペクトルは後述するように分子内の電子のエネルギー位の遷移に基づくものである。」との記載(三二三頁九行ないし一三行)及び「分子の振動状態に基づく変化が赤外吸収スペクトルinfrar edspectra (IR)で、振動スペクトルとも呼ばれている。有機化合物が振動するために吸収する光の波長は二・五~一五μで、これが赤外スペクトルの領域である。」との記載(三二七頁一二行ないし一五行)のあることが認められ、これら記載によれば、可視光線領域や紫外線の吸収スペクトルは分子内の電子のエネルギー準位の遷移に基づくものであるのに対し、赤外線吸収スペクトルは分子の振動状態の変化に基づくものであつて、両者は異なる原因に基づくものであると認められるところ、第三引用例の記載が振動スペクトルすなわち赤外線吸収スペクトルに関する論述であることは、その記載内容自体から明らかである。一方、本願発明のオプテイカル・フアイバーで使用される波長範囲は可視光線領域に限定されるものではなく、少なくとも二五〇〇nm以下の近赤外領域をも含むものであることは前記1(二)認定のとおりであるが、前記二認定の本願発明の概要によれば、本願発明の重水素化PMMAは六九〇nm及び七八五nm付近の波長域で低い減衰を示すものであるところから、前掲甲第一一、第一二号証による限り、本願発明におけるPMMAの重水素化による可視領域における伝送光の減衰性の向上の効果は、分子内の電子のエネルギー準位の遷移に基づく吸収が改善されたことによるものであつて、振動スペクトルすなわち赤外線吸収スペクトルに関する論述である第三引用例の記載とは関連性がないのではないかとの疑義が生ずる。
しかしながら、前記引用に係る甲第一一及び第一二号証の記載は、有機化合物一般に関する記述に止る。現に、前掲甲第一一号証には「少しでも分子の構造が違うと当然吸収されるエネルギー、波長も異なり、吸収の程度も異なる。」と記載(三二二頁五行ないし六行)され、また、前掲甲第一二号証には「これらのエネルギーの準位は、分子を構成する原子の種類、その組み合わせ、分子の対象性……などによつて微妙に異なる……」と記載(五六五頁七行ないし九行)されていることからみて、原告がその主張の裏付として指摘する甲第一一号証及び前掲甲第一二号証の記載がPMMAのような特定の有機化合物に当然あてはまるものと即断することはできない。そして、前掲甲第二号証の本願公報にはPMMAの可視光線領域における光の吸収が分子内の電子のエネルギー準位の遷移に基づくものである旨の記載は一切存在せず、また、PMMAの重水素化によつて可視光線領域における光の吸収が改善されたことは分子内の電子エネルギー準位の遷移に基づく吸収を減少させたことによるものであることを立証する実験結果等も記載されていないから、発明者がPMMAの可光線領域における光の吸収が分子内の電子エネルギー準位の遷移に基づくとの認識のもとに、右吸収を減少させるため、心フイラメントに重水素化PMMAを用いる本願発明をするに至つたものと認めることはできない。更に、成立に争いのない甲第一四号証(柿沢寛「有機化合物への吸収スペクトルの応用」・株式会社東京化学同人一九六八年一〇月一〇日発行)によれば、同号証には分子の振動に関し、「上記の基準振動のほかに、ある吸収の2倍、3倍、……の波数(1/2、1/3倍、……の波長)でだいぶ強度の弱い倍音振動か、二つ以上の異なる吸収の波数が加え合わさつた結音振動、二つ以上の異なる波数の差に相当する差吸収帯などが現われることがある。」との記載(二六頁一六行ないし一九行)のあることが認められ、また、成立に争いのない甲第五号証(第二引用例)によれば、同引用例には「現在ある〇・三~二・五mの長さのCrofon
なお、前掲甲第八号証によれば、同号証には「一般に有機系ポリマーは、赤外領域に各種の分子振動吸収、紫外領域に電子遷移吸収を有する。分子を構成する炭素と水素の結合に基づく赤外振動吸収の高議波吸収の影響は可視領域にまで及び、POF、伝送損失の固有要因となる。PMMAの電子遷移に基づく紫外吸収は、……PMMAの場合五〇〇nm以上の可視領域ではほとんど無視できる。」との記載(八三六頁左欄下から四行ないし同頁右欄一〇行)のあることが認められ、前掲甲第九号証によれば、同号証には「有機ポリマーは赤外領域に多数の振動吸収を有し、紫外領域には電子準位の励起による強い吸収があることから可視光線の領域が対象である。紫外部吸収の裾の強度は波長とともに低下する。図2(PMMA系光フアイバーの伝送損失)の曲線Bに紫外部吸収の見積値を示した。PMMAの場合には可視部への影響は少ないが、ポリスチレン(pst)では若干の影響がある(図は省略)。赤外部振動吸収の影響は重要である。C-H基準振動の倍音・結合音の吸収が可視部にある。図2の曲線AのピークがPMMAのC-H結合の倍音などである。」との記載(三頁右欄二四行ないし四頁左欄九行)のあることが認められる。右甲第八、第九号証はいずれも本願出願後に発行された文献であるが、これらの記載によれば、PMMAの可視領域における分子内の電子エネルギー準位の遷移に基づく吸収は実質的にはないに等しく、PMMAの可視領域における吸収はむしろ主としてC-H基準振動に起因する倍音・結合音の吸収ということであり、PMMAの可視領域及び近赤外領域における吸収に関する前記認定は、これら文献によつても裏付けられているものということができる。
なお、前掲甲第一四号証、いずれも成立に争いのない甲第一七号証(「化学大辞典7」・共立出版株式会社昭和三六年一〇月三〇日発行)及び同第一八号証(「化学大辞典3」・共立出版株式会社昭和三五年九月三〇日発行)によれば、倍音振動や結合音振動による吸収は基音振動による吸収よりもずつと弱いことが認められるが、たとえPMMAの可視領域における吸収がC-H基準振動に起因する倍音・結合音の吸収であるためにC-H基準振動そのものによる吸収よりも弱いものであるとしても、PMMAの可視領域における吸収としてその影響が現れていると考えられる以上、その吸収を解消すれば吸収損失もそれに応じて改善されることは容易に理解し得るところである。
以上によれば、第三引用例は赤外線吸収スペクトルについての論述であるから可視光線領域を対象とする本願発明には当てはまらないとする原告の主張は、理由がないものとして採用できない。
(三) 原告は、第三引用例のFig2に基づき、PMMAの重水素化によつて波数(振動数)三〇〇〇cm-1(三三三三nm)付近の吸収が減少するとしてもその透過率は六〇%程度であること、重水素化に伴つて新たな吸収が出現すること、PMMAの重水素化による吸収極大波数のシフトがみられるものの、全体としては重水素化してもかなり強い吸収が依然として残り、非重水素化PMMAよりも重水素化PMMAの方が透過率が低下していることなどを理由に、第三引用例における三〇〇〇cm-1(三三三三nm)付近の吸収の減少のみから可視光線を中心とする本願発明のオプテイカル・フアイバーの使用波長範囲での吸収の如何を論ずることはできない旨主張する。
しかし、審決が第三引用例を引用した趣旨は、同引用例が示す波長の個々の領域における透過率そのものを問題にするためではなく、重水素化されたPMMAが水素振動に基づく吸収を除去、あるいは減少させ得ることが公知であることを示すにあり、審決は、当業者であれば、これら開示事項に着目して、右三〇〇〇cm-1(三三三三nm)付近の波長領域とは異なる近赤外領域及び可視領域に生ずる吸収についても、同吸収が水素振動に起因する倍音・結合音の吸収である場合には、PMMAを重水素化することにより、これを除去、あるいは減少させ得るであろうと想到することは容易になし得るところであると認めて、本願発明の進歩性を否定したものである。因みに、前掲甲第二号証によれば、本願公報には本願発明があらゆる波長領域における全ての吸収を改善することを目的とするものである旨の記載は認められず、また、本願公報は、僅かに実施例4(同一条件下で重水素化したものとそうでないものを比較した実験例は、実施例4のみである。)において五四六・一ないし九〇〇・〇nmの波長領域における非重水素化PMMAと重水素化PMMAとの伝達光の減衰度の比較を具体的数値(実験値)によつて示しているにすぎないことが認められるから、本願発明は適宜の限られた波長領域における光吸収を改善しようとするものであると認めるのが相当であり、右実施例4の実験結果によれば、吸収改善は近赤外領域で大きく可視領域で小さい傾向がみられるが、このような傾向は、第二引用例に示されるように、水素振動による極大吸収があるとされる近赤外領域と倍音・結合音による弱い吸収があることが予期されるにすぎない可視領域では重水素化により、改善効果が前者が大で後者が小である傾向が予想されるところであることにれば、かかる実施例4の限定された波長領域での吸収改善の傾向は第三引用例から推測し得るものというべきである。したがつて、第三引用例の開示において、原告主張のように、重水素化に伴つて吸収が改善された波長とは別の波長域に新たな吸収が出現すること及びPMMAの重水素化による吸収極大波数のシフトによつても全体としてはかなり強い吸収が依然として残ることが認められるとしても、そのことが同引用例の開示事項に着目して本願発明を想到することの妨げとなるものではない。
(四) 原告は、第三引用例に示されたPMMAは立体規則性であるところ、立体規則性PMMAは、結晶性であるから実用的なオプテイカル・フアイバーのコアポリマーとして不適当であり、その製造は工業的に実施することが困難であるため、第三引用例はオプテイカル・フアイバーの技術の改善に係る示唆を与えるものとはいえない旨主張する。
しかしながら、本願発明の基礎となつた従来技術であるPMMAからなるオプテイカル・フアイバーの製造技術が本願出願前すでに実用化された技術であることは当事者間に争いのない第一引用例の記載から明らかであり、また、本願発明が、このようなすでに実用化された技術を土台として、オプテイカル・フアイバーの光を伝達し得る能力を改善することを指向するものであることは前記二認定の本願発明の概要から明らかであるところ、第三引用例において光を伝達し得る能力を改善する技術手段が開示されている以上(なお、PMMAは、立体規則性のものも非立体規則性のものも共にC-H結合を有する点では同じであり、両者とも水素振動による吸収があるものと解されるから、第三引用例の開示する技術手段は立体規則性の有無によつて影響されるものとは到底考えられない。)、右開示された技術手段をすでに実用化された技術に適用すれば実用化された技術においても光を伝達し得る能力が改善されるものと予測することに困難はなく、第三引用例に示されたPMMAが実用的なオプテイカル・フアイバーのコアポリマーとして適当か否か、或いはその製造は工業的に実施することが困難であるか否かは、これをすでに実用化された技術に適用するうえでの妨げになるものとは解されない。
因みに、本願発明における重水素化PMMAを非立体規則性のものに限定する理由はなく、立体規則性のものと非立体規則性のものとの両方を含むものであると解すべきこと、及び、立体規則性のPMMAも光フアイバーに全く使用できないわけではないことは前記1認定のとおりであるから、必ずしも第三引用例に示されたPMMAが実用的なオプテイカル・フアイバーのコアポリマーとして不適当であると断言することはできない。
3 取消事由二に対する判断
審決が第四引用例を引用した趣旨は、第三引用例に記載された重水素化PMMAがオプテイカル・フアイバーに適用できるかどうか明らかにするための補足事項の一つとして、第四引用例は吸収損失をなくすために水素を重水素に置き換えることが重合体からなる光伝送体(オプテイカル・フアイバー)において既に行なわれている事実を開示している点を述べたものであることは、前記の審決の理由の要点から明らかである。
第四引用例に、弗素化重合体からなる光伝送体について、重合体物質が完全に弗素化されない場合には、赤外吸収が約四・八、二・四及び一・六μmまでシフトされるので、末端原子を重水素化するのが望ましい、これにより水素に関連した比較的短波長の吸収を避けることができるとの記載があることについては当事者間に争いがないところ、同記載から、完全に弗素化されていない重合体では水素を重水素化すれば水素に関連した吸収を減少ないし回避することができるとの技術手段を明瞭に認議することができるものであり、同重合体は実際に光伝送体に使用され得るものであるから、同技術手段を第一引用例と本願発明との相違点の判断において引用することに何等不合理、不自然な点は存在しない。
4 取消事由三に対する判断
前掲甲第二号証及び成立に争いのない同第三号証(手続補正書)によれば、同補正書による補正後の本願公報の発明の詳細な説明の項には、本願発明の構成である「六〇MHzの核磁気共鳴法で測定して重合体一g当り水素を二〇mgより少なくしか含まない」との点に関し、「オプテイカル・フアイバーの心が六〇MHzの核磁気共鳴法で測定して重合体一g当り二〇mg未満、好ましくは一〇mg未満、最も好ましくは一mg未満の水素(重水素ではない)を含むようになるような同位体純度の重水素化単量体、反応開始剤及び連鎖移動剤の量を用いたとき最良の結果が得られる。従つて重合体一g当り二〇mg未満の水素を含む心をもつたフアイバーはポリメチルクリレートの心をもつた同じようにしてつくられた普通のフアイバーに比べ光の伝違が著しく良好であるが、心の水素の量を最小にすることにより最良の結果が得られる。」との記載(甲第二号証五欄二五行ないし三六行、同第三号証五頁一行ないし一〇行)のあることが認められるところ、同記載は、水素の量がより少ないほうが良いことを示唆しているだけで、本願発明における一g当り二〇mg未満という数値が上限としての臨界的な意味を持つことを示すものとはいい難く、また、本願公報の全記載によるも右数値限定が臨界的な意義を有することを示す記載はみあたらない。
そして、審決には、本願発明と第一引用例との相違点である「六〇MHzの核磁気共鳴法で測定して重合体一g当り水素を二〇mgより少なくしか含まない」との点が容易に推考し得たか否かについて直接述べるところはないが、審決が相違点の構成を想到することが容易である根拠とした第三引用例には、PMMAの全部の水素を重水素で置き換えたPM-d2、MA-d2、CD2C(CD3)(COOCD3)〓nの光学的な性質について記載があること、PMMAの二九九五、二九四八及び二八三五cm-1において吸収帯が認められ、これらの吸収帯はいずれも充分に重水素化された重合体では吸収を示さないことから、C-H振動に関連があること、CH2及びαCH3基を重水素化するとこの領域の吸収帯の強度が減じることが記載されていることは前記のとおりであるところ、このようなPMMAの全部の水素を重水素で置き換えた重水素化PMMAが本願発明の「六〇MHzの核磁気共鳴法で測定して重合体一g当り水素を二〇mgより少なくしか含まない」との構成を満足する重水素化PMMAであることは明らかである。したがつて、審決は、本願発明の右水素量に関する要件は第三引用例の記載から容易に想到し得ると実質的に判断しているものと認めることができるところ、重水素化したPMMAをオプテイカル・フアイバーの心材料として使用することが容易に想到し得るのであれば、本願発明の水素量の限定に臨界的意義が認められない以上、その重水素化量をどの程度にすればよいかは当業者が適宜に選択し得る事項であるから、この点に関する審決の右判断を誤りと認めることはできない。
5 第二引用例には、審決認定のとおり、PMMAからなるオプテイカル・フアイバーの場合スペクトルの紫外部及び赤外部に存在する吸収帯がオプテイカル・フアイバー内部の光の損失に大きく影響することが記載されていること、及び、本願明細書の発明の詳細な説明に例示されている波長域の近傍で、吸収帯の存在がオプテイカル・フアイバー内部で光損失に影響を与えることは、本願出願前すでに公知であつたことについては当事者間に争いがない。
なお、前掲甲第五号証(訳文一九頁一四行ないし一六行)によれば、第二引用例が水素振動に基づく吸収として具体的に示すものは、一・一五、一・三五、一・六ないし一・八μm(一一五〇、一三五〇、一六〇〇ないし一八〇〇nm)に存在する吸収であることが認められるが、第二引用例にはPMMAの〇・七~三・〇μmの近赤外領域及び一部の可視領域においても水素振動に起因する倍音・結合音の吸収があることが開示されていると認められること、及び、本願発明のオプテイカル・フアイバーで使用される波長範囲は、四〇〇ないし一一〇〇nmであると限定して解することはできず、一一〇〇nmよりも長い波長の赤外領域を含むものであり、少なくとも二五〇〇nm以下の近赤外領域をも含むものであると解すべきことは前判示のとおりである。したがつて、本願発明におけるオプテイカル・フアイバーにおいて使用できる光の波長は現状では四〇〇ないし一一〇〇nmであるから、第二引用例に示された水素振動は本願発明とは関係ない旨の原告の主張は理由がない。
6 以上によれば、重水素化されたPMMAが水素振動に基づく吸収を除去、あるいは減少させ得ることに着目し、オプテイカル・フアイバーの伝送損失に影響を与えている波長域での吸収帯の除去、減少のためにメタクリレート重合体を重水素化することは当業者が容易に想到し得たことと認められるとした審決の認定、判断に誤りはなく、審決には、原告が取消事由として主張するような違法は認められない。
五 よつて、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用負担及び上告のための附加期間の定めにつき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、同法一五八条二項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 濵崎浩一 裁判官 田中信義)
別紙
<省略>